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オピニオン 2016.10.19

【後編】遺伝カウンセリングは「免罪符」ではない

Profile
聖路加国際病院 遺伝診療部 部長/女性総合診療部 医長
山中 美智子 先生

1984年山形大学医学部卒業。1986年に横浜市立大学医学部附属病院産婦人科に入局し、1993年より神奈川県立こども医療センター産婦人科。1996年から2年間にわたり米国ボストン大学人類遺伝学センターDNA研究室にリサーチフェローとして留学。2008年に大阪府立大学看護学部看護学研究科の教授に着任し、2010年より現職。

(本記事は2015年7月にm3.comに掲載された記事を転記したものです)

遺伝カウンセリングとインフォームド・コンセントの違い

今後、出生前検査の遺伝カウンセリングを拡げていくために、どのようなことが必要でしょうか。

そもそも、私自身はNIPTのような出生前検査が普及することはいいことだと少しも思わないのです。しかし、現に検査があるので、きちんと情報提供をしてサポート可能な状況で提供できる環境を整備しなければいけない。その点はずっとジレンマです。ただ私は絶対に出生前検査をマススクリーニングとしてやるべきではないと思っています。あくまで、個人の選択によって行うべきです。

そのような環境を用意せざるを得ない状況が実際にありますので、まず遺伝カウンセラーの養成は大事です。さらに医師の教育も大事です。NIPTに関しては、領域が比較的近い小児科の医師であっても、あまりよく理解されていない先生もいらっしゃいます。

医師もあまりよく分かっていない部分なのですね。

遺伝カウンセリングに対する医師の理解は高いとは言えません。例えば、NIPT 陽性例の97%は中絶したという報道があったときに、医師会のある先生が「97%も中絶するのだったら、遺伝カウンセリングをやったって意味がないじゃないか」と発言されました。しかし、遺伝カウンセリングはその人の選択をサポートするためのものであって、「中絶は良くないからやめなさい」なんて言うためにやっているわけではないのです。遺伝カウンセリングに対する理解に関して医療者の中でも非常に大きなハードルがあるなと思いました。

それから、NIPTが始まるときに「日本では出生前検査についての議論がされてこなかった」と話す先生たちを何度か目にしたのですけれども、それは嘘だと思います。日本でも、たくさん議論があったのです。最初は、羊水検査が始まった頃、兵庫県で「不幸な子どもの生まれない運動」(1966~1972年)が起きて、羊水検査を公費で、マススクリーニングとしてやろうという動きが広まりかけたのです。そのときに、非常に大きな論議が起こりました。また、90年代に母体血清マーカー検査が登場したときにも、大きな議論があった。いくつかのターニングポイントに大きな議論をしてきているにもかかわらず、なぜか今回、NIPTを始めようという先生方はこのような経緯を口にされていなかった。なぜ、そういう言い方をされるのか。私はとても疑問です。

日本は出生前検査に関して議論を積み重ねていた。

さらに、「NIPTでは母体血清マーカー検査の轍を踏まないように」とも言われるのです。「母体血清マーカー検査の轍」とは何なのだろうと。積極的に勧めないとするあの見解は、遺伝カウンセリングなどという言葉自体も普及していない時代の中で出てきたものです。そういうふうに言われる先生たちの真意はどこにあるのだろうと思います。遺伝カウンセリングを、まるで「免罪符」のように言っているけれども、では、遺伝カウンセリングとはどうあるべきかという議論は全然ないのです。果たして、インフォームド・コンセントと遺伝カウンセリングの違いをきちんと説明できる方がどれだけいらっしゃるのか。

ぜひ、その違いをご説明いただければと思います。

例えば、ダウン症候群などの診断を目的にして羊水検査をするときに、検査の精度や方法、手順、合併症や、検査で分かること、検査後の選択肢などを説明するのは、インフォームド・コンセントです(図4)。一方、遺伝カウンセリングでは、そもそも先天異常とは、ダウン症候群とはどういう状態なのか、原因は何なのか、実際の生活や合併症はどうで、どういう支援が受けられるのかということも伝えなければいけない。さらに、あなたはなぜ検査を受けたいと思っているのか。自分で考えて選択したのか。検査の結果によっては人工妊娠中絶をしたいと思っているのか。検査を受けるに当たっての問題点について、ご自身はどう考えるか。検査をしたら結果の説明もして、結果を踏まえて何らかの選択をしたら、それに対するサポートもしなければいけない。

その中では「中絶するか、しないかという選択肢が待っているかもしれない検査ですよ」と、人工妊娠中絶をどうやって行うのかという話もします。皆さん中絶と言うと、麻酔をかけて手術で終わってしまうといイメージなのですけれども、そうではないのです。特に、出生前検査を受けて人工妊娠中絶となると、赤ちゃんがある程度育っているので、お産をしなければいけないし、埋葬もしなければいけない。中には、「そんな大変なことを選択することになるのだったら検査はしない」と言われる方もいらっしゃるので、検査を受ける前にここまで話さなければならないのです。

本来、病気の治療に関する話も遺伝カウンセリングのような要素は必要ですが、「病気を治療したい」という意志が一貫していれば、治療方針を納得してもらえれば良いのですよね。遺伝カウンセリングにおいては、その後に取りうる選択肢が複数あり、しかも遺伝子を共有している他の家族にも影響が及ぶかもしれず、いずれの選択が良いとも医療側からも決められないことも多い。だからこそインフォームドコンセントだけではなく、遺伝カウンセリングが必要となるのです。

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図4:インフォームド・コンセントと遺伝カウンセリングの違い

病気であるという現実とどう向き合うか

最後に、出生前検査と遺伝子差別の可能性についてお考えをお聞かせください。

この前、フランスの先生に講演してもらったのですが、フランスでは出生前検査をマススクリーニングでやっています。妊婦の選択だとは言いながらも公費を出して超音波と母体血清マーカー検査を組み合わせたものをやっています。しかも、フランスは何週までであっても人工妊娠中絶は可能なのです。胎児が病気なので中絶をしたいと言い、4人ぐらいの医師が承認すれば、たとえ40週であっても中絶できる。こんな状態で「それは優生主義ではない」という論理は、どうやって成り立つのか。

歴史は繰り返しているというか、遺伝子をセレクトすることによって幸せな世界が待っていると思っている人たちがいるのだろうけれども、人の幸せというのは、そういうところにあるのだろうか。誰でも病気になるし、誰だって死ぬし、その現実とどう向き合っていくかという視点が欠けていないでしょうか。病気になってしまうことは不幸かもしれないけれども、病気でいることが不幸かどうか。病気を抱えながら幸せに生活している人たちはたくさんいるわけです。そういう視点がないと、映画「ガタカ」の世界になってしまいます。

医療機関を介さずにウェブなどで遺伝子検査ができるDTC遺伝学的検査(Direct-to-Consumer Genetic Testing)に関してはいかがでしょうか。

DTCは、今のところ占いの域を出てないですけれども、将来、技術的には病気の遺伝子を診断することができるようになるはずです。今は、医学的な診断をするのは医師の権限だけれども、別に医師を介さなくてもできてしまうわけです。DTCを規制すべきかどうかという議論には、医療や医学の概念や枠組みを大きく揺るがす可能性を秘めていると思います。

仮にDTCに医師が介入するという規制をかけたとしても、いずれ規制から漏れていくところもあると思います。それぞれが賢く検査を使えるようにならないといけないですが、では、その賢さは誰がどう教育するのか。どうやってゲノム情報を個人個人が扱えばいいのかということを、今は整理できていないけれども、いろいろな方向性から考えないといけないでしょう。どんどん遺伝子差別の世界になっていってしまわないように、教育は本当に大事だと思います。

前編「病気の有無で『幸せ』は決まらない」はこちらから

中編「NIPT時代に苦悩する母親たち」はこちらから

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