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オピニオン 2016.02.15

【前編】医療の破壊的イノベーションは起きたのか?

Profile
クレイトン・クリステンセン・インスティチュート ヘルスケア領域 上席主任研究官
スペンサー・ナム氏

「破壊的イノベーション」「イノベーションのジレンマ」で著名なクレイトン・クリステンセン教授とともに、クレイトン・クリステンセン・インスティチュートにて、ヘルスケア業界における破壊的イノベーションを研究する。これまで50を超える医療テクノロジー企業を対象とした調査を実施。15年間、米国と世界的なヘルスケア企業と共に働いた経験を有している他、グローバルな遠隔医療産業の未来に関して韓国政府だけでなく多数の民間の医療技術企業にも助言を行ってきた。過去には投資銀行、戦略コンサルタント、ベンチャーキャピタリストとしてのキャリアを持つ。ハーバード大学の数学課程の学士号、経営学修士(MBA)を取得。

G­-TACではクレイトン・クリステンセン・インスティチュートのヘルスケア領域上席主任研究官のスペンサー・ナム氏にインタビューを行った。ナム氏は「破壊的イノベーション」「イノベーションのジレンマ」で著名なクレイトン・クリステンセン教授とともに、米国医療業界の破壊的イノベーションに着目し、研究を続けている。

ナム氏の言葉を借りれば、破壊的イノベーションとは「既存のシステムが利益の最大化を目指す一方で、異なる技術、ビジネスモデル、バリューネットワークによって生じた新たなシステムに顧客が移行する現象」と呼べるだろう。

イノベーションによる医療費の削減が必要とされるのは米国に限った話ではない。G­-TACがゲノム医療を通じて実現を目指す世界観には、同氏が語る破壊的イノベーションが不可欠である。

今回のインタビューでは米国における破壊的イノベーションの現状と日本へのアドバイスを聞いた。

出版から7年、米国医療業界に起きた3つの変化

「The Innovator's Prescription: A Disruptive Solution for Health Care 邦訳:医療イノベーションの本質)」の邦訳版が2015年に出版されました。日本でも大きな衝撃を与え、今も多くの議論が巻き起こっています。
一方、オリジナル版の出版からはすでに7年が経過しています。まずはこの時間差を埋めるための質問です。この間に米国の医療業界にはどんな大きな変化があったのでしょうか?

この7年の間に起きた大きな変化は3つある。

一つはAffordable Care Act ACA 通称「オバマケア」と呼ばれる医療政策が施行されたことだ。それまで国民の90%が健康保険に加入していたが、オバマケアによって全ての人の加入が法律によって義務付けられた。

およそ2500万人にのぼる残された人々が健康保険に加入することとなり、医療システム全体に大きな変化が強いられている。例えば、多くの地域で医師やナースが足りないケースが見受けられうようになってきている。

しかし、それでも残された2500万人の内、新たに健康保険に入れるようになったのはその内の10%程度であり、今後も増えるとされている。その多くは親元を離れたばかりの若者や、貧困層などであり、医療サービスの低コスト化が一層必要とされるようになったと言えるだろう。

二つ目の大きな変化はテクノロジーの進歩だ。インターネットの普及によって、7年という年月は人々のライフスタイルやサービスの提供方法を大きく変えている。その変化の中でインターネットをベースとした企業が、特にヘルスケア業界の中で台頭し始めた。それにより、地域の医師を検索したり、遠隔診療を提供したり、ウェアラブルで健康データを測定するなど、ここ5年ほどの間に新たなサービスを提供する企業が一気に増え始めている。

注目の分野の一つが「ゲノム」だ。どんな病気になりやすいか、どんな治療が効くか、ゲノムレベルで分かるようになりつつある。一方で、ゲノム診療はまだ「開花」中の段階である。どんな病気なら診察が出来るのか、どの様に診察が出来るのかはまだ研究途上のものも多く、また、検査自体の費用が高額といった問題が存在する。今後より具体的な変化が生まれるには10年というスパンがかかるだろう。

遺伝子治療、またその他の遺伝子関連技術については、2015年のはじめにも、オバマ大統領が「Precision Medicine Initiative」を立ち上げるなど、国をあげた後押しが進んでいる。がん、アルツハイマー、うつ病など、これまで難病とされていた慢性疾患を防ぎ、治す、そういった「月に飛ぶような壮大なビジョン」が広がっている。

三つ目の変化は、逆説的だが、依然として医療費が増加しているということだ。7年前にはGDPの18%程だった医療費は、現在約20%近くまで上昇している。今後もオバマケアによって、医療費は増大することが見込まれている。減ることはないのだ。オバマケアでも何を保険によってカバーすべきかという議論が続いているが、いずれにしてもこの医療費を削減する解決策が必要であることは間違いない。

このように、オバマケアによって健康保険の対象が拡大したこと、テクノロジーが進歩したこと、医療費が増大していることというのが3つの大きな変化であり、7年前同様に、今日も医療業界の破壊的イノベーションが必要であり、また起きる土壌があることを示唆している。

Sub 1

しかし、「破壊的イノベーション」は、起きていない?

こうした大きな変化を受けて、米国では「破壊的イノベーション」の種が生まれ、育ってきているのではないかと思います。今後数年内に破壊的イノベーションが起きる可能性について、ポジティブに捉えられていますか?

ポジティブかネガティブかと聞かれれば、米国についてはネガティブだ。

この7年の間の動きを見ていて分かったことは、米国の医療システムは「大きすぎて変われない(Too Big To Change)」ということだ。著書で紹介しているが、この傾向が変わることは難しいだろうというのが私の意見だ。

米国の医療システムに携わる企業、医療機関、また患者にとって、今のシステムを変えるインセンティブはない。先ほど述べたように、健康保険の適用範囲は拡大し、テクノロジーによってできることは増え、収益源の裏返しである医療費は今後も増加を保証されている。こうしたシステムは今後も、新たなイノべーションが伝統的なビジネスモデルの市場シェアを奪うことを遠ざけようとするだろう。

例えば、がんの治療薬は高いが、それでも医療保険によって容易に受けられる。製薬企業は儲かり、患者も選ばない理由はない。こうして仕組みの中で利益を生み続けることができる。

誰も、今得ている利益を捨てて、改革することは考えない。イノベーションを起こそうとする病院や企業は確かに増えているが、大局を見た時、この傾向はこの7年の間にも大きく変わらなかった。

米国はこれからも1回の服用量辺り10,000ドルのガンの治療薬に代わって30,000ドルのガンの治療薬を提供するなど、より高価な選択肢の数を増やすばかりだろう。大きければ大きい程良いという米国の伝統的なビジネスモデルの自発的な変革には懐疑的である。

しかし、誰かがこの負のサイクルを正し、コストを破壊的に下げる、そんな変化が米国には求められている。

Sub 2

アジア、そして日本から生まれる破壊的イノベーションへの期待

一方で、グローバルな視点ではポジティブだ。米国の外で、今後一層、医療の破壊的イノベーションが起きていくと期待している。

特に私が注目しているのはアジアだ。日本、韓国、中国など、今までにないサービスを提供するかもしれない。また、東南アジアの国々は、医療システムの構築段階にあり、「大きすぎて変われない」米国に先んじて、国レベルでより合理的なシステムを構築する可能性を秘めている。

破壊的イノベーションの古典的な事例のように、かつてのソニーのような日本企業が既存のシステムの収益構造破壊するビジネスモデルを持って米国に参入してくる、そんなインパクトが必要だ。

かつてフォードなどの米国自動車産業は、小型車には見向きもしなかったが、トヨタの参入によって産業全体が一気に革新された。同様の変化が医療業界にも必要だが、それほどの大きな変化はまだ起きていない。

特に、日本はロボットがサービス提供を行い始めていることに代表されるように、信頼のある高い品質の製品を生み出し続けている。50年前のトヨタや他の自動車メーカーのように、日本の医療製品の新たな波が米国に再来することを私は期待している。

後編「破壊的イノベーションの鍵は『ゲノム』?」はこちらから

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