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イノベーション 2016.10.19

未知の病気を克服、英国が挑戦するゲノム医療の未来

英国といえば、国民保健サービス(NHS)が有名だ。運営は税収でまかなわれ、治療費は原則無料。国民が安心して生活できる、すばらしい福祉制度だ。

世界がゲノム医療に取り組む中、英国も、国民の90%が利用するNHSに新たな医療サービスを取り入れようとしている。

英国のゲノム医療戦略は、バイオバンクの創設、層別化医療(Stratified Medicine)、そしてGenomics Englandと、段階的にすすめられてきた。専門家だけでなく、国民とも意見交換をかさね、理解を得ていった点が、大きな特徴といえる。

バイオバンクとは、リソース(ヒト由来の血液などのサンプル)を収集し、サンプル提供者のプライバシーを保護しながら維持管理するシステムだ。受け入れと払い出しをおこなうことから「バイオバンク」とよばれている。

英国のバイオバンクは2011年に完成した。あつめられた50万人分のサンプルや遺伝子情報は、がんや心臓病、糖尿病、アルツハイマー病などの病気の進行を調べる研究に利用されている。

ある種の指標(バイオマーカー)をもとに患者さんをグループ分けすることを「層別化」とよんでいる。バイオバンクなどを利用した研究から、薬の効きやすさを決める遺伝子があることや、薬と遺伝子の組み合わせも詳しく分かってきた。薬を処方するまえに遺伝子を調べて、効果がある薬だけを患者さんに投与できれば、医療コストを抑えながら、治療効果を高めていくことができる。

たとえば、乳がんの患者さんの中には、HER2とよばれる遺伝子が異常に増える人がいる。異常が見つかった患者さんには、トラスツズマブ(ハーセプチン)という薬がよいとされている。また、肺がん患者さんの中には、上皮成長因子受容体チロシンキナーゼ(EGFR-TKI)に異常がある人もいる。そういった患者さんにはゲフィチニブ(イレッサ)を投与すると、より効きやすいとされている。

遺伝子の異常をみつけるため、英国では、「全ゲノムシーケンス」(Whole Genome Sequencing)とよばれる方法を採用する。すべての遺伝情報のことを「ゲノム」、ゲノムの中で病気のかかりやすさや薬の効きやすさを決める特定の場所が遺伝子として存在している。全ゲノムシーケンスは、すべてのゲノム、つまり、すべての遺伝情報を解読でき、未来のゲノム医療の診断プロセスに欠かせない技術といわれている。この解析方法については、2011年のStratified Medicine Programmeで検討された。

そして2012年には、キャメロン首相が「Genomics England」を提唱した。10万人ゲノム計画(100,000 Genomes Project)ともよばれるこの国家プロジェクトには、5年間で総額3.11億ポンド(約600億円)が拠出される予定だ。

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「100,000 Genomes Project」とは何か?

10万人ゲノム計画は、米国Precision Medicine Initiative(URL:https://www.nih.gov/precision-medicine-initiative-cohort-program)の英国版といえる。米国では、100万人のボランティアを募るが、英国では国が「Genomics England」という会社をつくり、2017年までに7万5000人のゲノム情報の解析を目指している。
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対象となるのは、乳がん、大腸がん、卵巣がん、肺がん、B細胞性慢性リンパ性白血病といった5種類のがんと、110種類のまれな遺伝子の病気。患者さんは、自分の意志で、無償でプロジェクトに参加することができる。

研究者らは集められたデータをつかって、遺伝子の異常と病気の関係を調べ、新薬の開発につなげる。また、患者さんの担当医もデータにアクセスできる。患者さんの遺伝子の異常に応じて、効きやすい薬を選んで投与することができるからだ。

このような新しい診断と治療のやり方について、NHS医療責任者のブルース教授は、「英国が、この新しい医療サービスを全国レベルでおこなう最初の国になりたい」と話している。

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未知の病気を克服できるかもしれない、最初の症例が動き出す

2015年11月、同プロジェクトを通じて診断をうけた最初の患者さんが話題になった。

高血圧と腎不全に苦しんでいたレズリー・ヘドレー氏(57歳)は、娘のテリ・パーカーさん(34歳)にも同じ兆候がみられたことから、将来を案じてプロジェクトへの参加を決めた。ゲノム解析の結果、ある遺伝子の異常が発見され、いまでは2人ともNHSで利用できる薬をつかって効果的に血圧をコントロールできている。

また、2016年1月には、初めての子供の患者さんがあらわれた。

1人目は、ジョージア・ウォルバーン・グリーン嬢。目や腎臓の病気や、言語機能に問題があった。いままでの検査ではなにも発見できなかったが、本プロジェクトでKDM5bという1つ遺伝子がすべての原因だとわかった。

もう1人はジェシカ・ライト嬢。てんかん発作に苦しんでいたが、本プロジェクトで、非常にまれな病気である「グルコーストランスポーター1欠損症症候群」と判明した。

いずれも、まだ薬で治療できる段階ではないが、家族もとても前向きで、同じような問題をかかえる子供たちや、今後の研究に役に立ててほしいと願っている。

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ゲノム情報の管理など、国や行政レベルでの課題も多い

国を挙げてゲノム医療の発展を目指す英国。だが、ゲノム情報の管理など、国や行政レベルでの課題もあるようだ。

ゲノム医療をすすめていく上でまず課題となるのが、プライバシーの問題だ。ゲノム情報は、親から子へと伝わる、人間の設計図である。そのような情報を国家が管理することに、不安をおぼえる人もいる。

英国政府は、対策には万全を期すとしている。まず、データからは、NHS番号(健康保険番号)など個人を特定できる情報は完全に取り除かれる。そして、倫理諮問委員会の厳しい審査をパスした企業だけがデータを利用できる。

参加を希望する患者さんには、個人の特定は理論的には不可能であることを十分に説明し、納得してもらった上で、参加を決めてもらう。

また、患者さんが提供した遺伝子情報のおかげで、製薬企業が利益を得ることに疑問をもつ人もいる。

ただ、患者さんには、いままで診断できなかった病気の診断をうけることができたり、より効きめがある新しい薬を使えるといった恩恵もある。さらに、フリーマン英閣外相(生命科学担当)によれば、「英国のライフサイエンスの発展にも貢献でき、経済面では雇用を生みだすことができる」という。

ゲノム医療に関しては、日本は英国よりやや遅れて2番手のグループにいる。ただし、このような新しい領域では2番手であることのメリットも大きい。先行する国々の例を参考にしながら、より良い方法をさぐることができるからだ。

たとえば「東北メディカル・メガバンク事業」では、ゲノム情報だけでなく、医療データや生体サンプルをあわせて一元管理するという、これまでにない新しい「複合バイオバンク」の構想だ。15万人規模を目標に、すでに7万人分のサンプルが集まっている。

英国、米国、そして日本だけでなく、中国やヨーロッパ諸国でもさまざまな研究がすすんでいるゲノム医療。非常に目まぐるしい分野ではあるが、これからも世界の動きから目を離さずに、しっかりと見守っていく必要があるだろう。

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